ウチから徒歩5分圏内の神社と史跡。
…これがホントの「ご近所伝説」(笑)
■こるとん神社
ふざけた名前だが、昭和11年創建。「共立モスリン株式会社中山工場」の造成時、その一角の森を残し神域とした。祭神は天照大神。伊勢神宮から分霊を奉遷したもの。
その後「日本毛織株式会社」へ、そして現在の「ニッケコルトンプラザ」に引き継がれたもの。その際神社名が「こるとん神社」になったもので、創建時本来の神社名は不明。
『市川の歴史を尋ねて』(市教育委員会刊)によれば、「共立モスリン株式会社中山工場」の前に「上毛モスリン中山工場」という工場があったらしい。どの程度の規模の工場だったのかはわからないが、関東大震災の折、レンガ造りの塀が倒れて女子工員11人が死亡との記載がある。
また昭和初期、この一帯は水田だったとも言われているため、その中に「森」が存在しているとなると、もしかしたら周辺住民の「鎮守の森」ではなかったのだろうか?そこへ工場建設の話が持ち上がり、既に神域となっている一角を残し、(当時のご時世も考え合わせると)改めて伊勢神宮から天照大神を分霊したのではなかろうか、と勝手に推測したりしている。
…その後第二次世界大戦もあったので、この近辺も空襲を受けたと予想されるが、現在残っているということは、もしかするとかなり古くからの神社なのかもしれない…。但しこれは私の勝手な推測なので、真偽の程は不明。
■稲荷神社
「こるとん神社」の隣にある稲荷神社。こちらには縁起書きがないが、現世利益を第一とする稲荷神社である、恐らく「こるとん神社」が創建された時に同時に建てられたものではないかと思われる。(但し建物そのものが当時のものかどうかは不明)
■史跡 鬼高遺跡公園
やはりここも「共立モスリン株式会社中山工場」の造成時に発見された。
水田の下を掘り下げたら貝殻が出土、さらに掘り下げると獣骨・杭木・土器片などが出土した。
5〜6世紀の遺跡と言われているが、当時このあたりはまだ海か、極めて海に近い場所だったため、家を海辺に建てて漁労中心の生活をしていたものと考えられている。
ちなみに市内の同時期の遺跡は、全て現在も高台である場所、つまり当時においても陸地だった場所に集中しており、この場所だけがひとつだけ離れた形になっている。
「郷土読本 市川の歴史を尋ねて」(市教育委員会刊)に掲載された「市川遺跡地図」では、鬼高遺跡は市川砂州には無い。…つまり海上にあるのだ。当時の住民は海上民のような生活をしていたのだろうか?
ここから出土した土器は古墳時代後期の土器の標識となり、「鬼高式土器」と呼ばれ、考古学史上重要な遺跡であるとのこと。
出土品はすべて市の歴史博物館に収められている。今の鬼高遺跡は遺跡の面影は無い。ただ遺跡があったと思われる場所が丸く縁取られ、その回りにベンチや植え込みが植えられて、小さくのどかな広場、といった印象だ。
しかし一応「史跡」なので、入園時間と閉園時間がある。
小さな入り口フェンスの脇にそう注意書きがあったが、知らない人が訪れたら『住宅展示場の中の広場かな』と思う程度だろう。
■なんでもないけど近所の不思議スポット
本当にこれはなんでもないといえばなんでもないのだが、私がここに引っ越してきた当時、「本当に人が住んでいるのだろうか?」と思うような二階建てのアパートが近くにあった。
夜になると明かりがついていたので、住民はいたようなのだが、正面から見ても裏側から見ても、本当に今にも崩れそうというか、雨戸は傾いているし壁はひび割れているし、蔦も張り付いているし…1階と2階の間の壁に張り出された『三河荘』の『三』の文字も縦方向に傾いていたし、「…きっとこれお風呂とかついてないよね…トイレももしかしたら共同かも」な建物だった。
2004年の夏になる前に、いきなりそのアパートは取り壊された。
取り壊されて更地になり、空き地になったその場所には草がぼうぼうと生え始めた。
夏のさなか、住宅会社のノボリが立った。住宅会社のものと思われる車が毎日留まり、時には車がなくて、真夏なのにスーツを着込んだ男性が折りたたみ椅子に座ってノボリの横にいたこともある。
夏が過ぎようとも言う頃、ぼうぼうだった草は手作業で刈り取られ、また更地になった。そして「建築計画」の看板が立った。
「…ああ、買い手がついたんだな」と通りすがりながら私は思っていた。
やがて簡素な地鎮祭が行われたようで、土地の真ん中に四方に細い竹が立ち、その竹をまた細い縄でつないで固定し、その四角の中に砂を持って榊の枝が立った。じゃあそろそろ工事が始めるのかな…と思っていたのだが、いつまでたっても工事が始まる様子はなく、気付いたら「建築計画」は台風で吹っ飛ばされたのか地面に倒れ、地鎮祭の跡もほったらかし。
夕方ごろになると学校から帰ってきたらしい子供らが野球に興じる始末(地鎮祭跡は邪魔そうだったが)。
…竹が枯れても、盛り砂が平らになって榊が倒れても、竹は縄でつながれているので倒れずそのまま立っている。
買い手が手を引いたのか、住宅会社に問題が起きたのか、近隣住民との話し合いがつかないのか…理由はわからないが、今も空き地に地鎮祭の跡だけが残っている。
夕暮れ時に通りかかると、趣というかものの哀れというか、侘び寂びというか一種不気味というか…変な雰囲気を醸し出している。
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